当店から皆様へ

営業時間
平日 10時~18時
土日 10時~18時
定休日 月、火、水曜日

イベント(メダカ掬い)出店の際は申し訳ございませんが休業いたします。
冬季(11月~翌3月)期間は完全休業とさせていただきます。
インスタグラムにイベント情報など掲載してます!!詳しくは→こちら

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アクセス方法は下記リンクを参照ください。


 
 
JR上八木駅当店の最寄り駅「上八木駅」 徒歩8分。駅番号JR-B12

最寄りのバス停「八木小学校前」 徒歩5分。
可部方面からでも市内方面からでも バス停は「八木小学校前」下車です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

当店近くの名所を紹介!!

高瀬堰
中国地方最大の都市である広島市の中心を流れる太田川は、広島地方生活圏の重要な水源となっています。
高瀬堰を通じて広島市の他、江田島市等の瀬戸内海の島々にも供給され、約160万人の人々に使用されています。
高瀬堰の事をもっと詳しく知りたい方は→国土交通省太田川河川事務所

 
 
 
 
 

高瀬堰の目的は?
治水
太田川の計画高水流量の毎秒7500立法メートルを安全に流すために堰の形式を固定堰から稼働堰に改築しました。また古川等への分水は樋門等を改築して在来の機能の維持を保ちました。
利水
貯水池を利用して新しく1日最大164000立方メートルの水を広島市、呉市、周辺の町、島嶼部に供給します。
発電放水の調整
江ノ川土師ダムからの分水は、壁発電所から放水されますが水量の変化があるので貯水池を利用して平均になるように調節し、1日最大300000立方メートルの水を広島市、呉市周辺の町に供給します。

 
 

八木城址
八木城(やぎじょう)は、安芸国佐東郡(現在の広島県広島市安佐南区)八木にあった日本の城で、太田川の西岸にある比高55mの丘陵上に築城されました。城山の北部と西部は現在、住宅地や中学校となっており、その曲輪の全容は不明です。現状では山頂郭群のほか三郭群が確認されています。城跡には香川氏の祖である鎌倉景正を祭る権五郎神社があります。

 
 
 
 
 

承久3年(1221年)の承久の乱で活躍した香川経景が褒賞として安芸国八木を与えられ、その子香川景光が安芸国に移住して八木城を築城したと伝えられています。香川氏は安芸守護であった武田氏の重鎮です。
その香川氏も永正14年(1517年)の有田中井手の戦いにおいて、安芸武田氏当主武田元繁やその傘下の熊谷氏当主熊谷元直が、毛利元就と宮庄経友率いる毛利吉川連合軍に敗北し討死となりました。時の香川氏当主香川行景は主の仇を討てないのは無念とし、敗残の兵を纏め己斐師道とともに突撃し、最期を迎えました。その後は毛利氏に香川氏は従い、八木城は毛利配下となりましたが慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの敗北の結果、毛利氏の防長移封に従って廃城となりました。

 
 

八木用水
八木用水は明和5年(1768年)、桑原卯之助という人によって作られた全長約16kmに及ぶ農業用水路です。当初は卯之助用水と呼よばれていたそうです。
江戸時代の取水口は「十歩一」という場所でしたが、大正8年の大洪水により上流の「鳴」に移され、現在は太田川発電所から水の全量が供給され、一部区間を八木隧道(地下トンネル)で結んでいます。
八木用水の事をもっと詳しく知りたい方は→上八木ルートの概要

 
 
 
 
 

太田川左岸の沼田郡一帯は、川の水位が低いため取水が困難でした。農業用水不足を解消する目的で、沼田郡南下安村(祇園町)の大工・桑原卯之助(くわばらうのすけ)が中心となって、太田川の上流の沼田郡八木村十歩一から取水し、水路を作りました。緑井→中須→古市→西原→長束→新庄→楠木などの各村を経由し、打越村へと至ります。

 
 
 
 
 
 
 

最後に広島淡水魚から皆さまへ。

私が改良メダカを知るきっかけとなったのは観賞魚に造詣が深い知人宅でした。改良メダカ発祥の地、広島ということもあり他県より改良種は流通していましたがダルマ体型やアルビノ、スモールアイなどといった品種は見かけることはなく、当時は「こんなに綺麗なメダカが存在するのか!」と非常に深い感銘を受けました。
そのような衝撃的な出来事から幾年の月日が流れました。昨今、600種類を超えるといわれる改良メダカの知名度はどうなのか。
ひと昔前よりはメダカに興味のない方でも朱赤メダカや幹之メダカといった品種は認知されつつあります。ですが、マイナーな品種や新種、体型などの認知度は今ひとつです。世間的にみてもまだ改良メダカの認知度は金魚や錦鯉には劣ります。
この様な現状を改善し、より皆様に改良メダカ文化を知っていただくと共に日本の観賞魚文化を存じない国々に羽ばたいてくれたら、との思いで当サイトを制作しました。全国の方々が品種改良を繰り返し、昇華させていくことでまだまだ観賞魚業界は発展していくと確信しております。
メダカを品種改良するという文化は始まってまだ20年ほどです。まだまだ成長の余地が残っている文化です。今後の改良メダカ業界の成長が楽しみであり、そして皆さまと共にメダカ文化を日本及び世界に広げていけることを楽しみにしております。
改良メダカを多くの方々に認知して頂き、品種改良の奥深さ、メダカという小さな輝きを愛でるということを、全国のみならず世界の方々に当サイトで少しでも知っていただけたらと思っております。the pursuit of MEDAKA truth ~メダカを探求する~